top of page
検索

どこから来るのか

執筆者の写真:  さとやま、さとうみ地域医療研究室
さとやま、さとうみ地域医療研究室
10月21日
読了時間: 5分

更新日:10月23日

このところ、活動における自分の役割について考えようとすると、なんだか周辺に謎に迫ってしまうようだと感じます。良い雰囲気で言葉の意味が通る回路を探している最中です。しばらくご迷惑をおかけします。


以下のリンクはこの事業を展開するにあたり、「医師たちがどこからくるのか」、どんな出自の人たちかをまとめたものです。

2024年PC学会でポスター発表したものを再構成したものです。


このことに対して、応答をしてみたいと思い記事を書いています。


今回は介護と看護のお話から。

介護福祉士養成の教科書を眺めていたときに、改めて感じたことがあります。


1960~1970年代、ベトナム戦争の影響を受けながら、様々な運動が活発になっていきます。

アメリカでは福祉権運動、公民権運動、そしてIL運動。インドではガンジーが、南アフリカではマンデラらがそれぞれの運動の中心となっていきます。


そうしたことは社会福祉の実践に影響を与えます。

「援助の原則も、「医学モデル」から「生活モデル」へと変わり、利用者の生活環境や社会生活を全体として把握し」ていくこととなります。

これは『介護福祉士養成講座1 人間の理解』(介護福祉士養成講座編集委員会,中央法規,2025)より引用しています。(入学して最初のころに習う内容ですね)


このころソーシャルワーカー(いわゆる福祉職の始まりとして)は、「小さな精神科医」として揶揄されていました。

また、同書では糸賀一雄やアマルティア・センを引用しながら、「生きることを社会的側面から支える仕事にたずさわる私たちは、…(略)…これからの生命倫理に一石を投じることができるのではないでしょうか」と、医療の進歩を認めながらも、そのなかに自らのアイデンティティを模索する姿が書かれています。


あるいは、『哲学教科書シリーズ 生命倫理学入門』(今井道夫,産業図書,2024)においては、ナイチンゲールなどの看護師の成り立ちについて次のように紹介されています。

「伝記から知られるように、当初は看護職はかなり自立した活動をしていた。そうした女性たちの集団的活動を、冷ややかな目で見る医師たちも多かった」。


ナイチンゲールは、先の『介護福祉士養成講座1 人間の理解』でも紹介されています。

そこには「診療の補助」とともに「療養上の世話」を看護の柱とし、後者が看護独自の専門性であると宣言されている、としています。


ソーシャルワーカーや看護師は、起源やアイデンティティの問い直しに医師が登場します。

また女性という属性を引き出されて語られる場合もあります。

(ちなみに、赤十字のアンリ・デュナンなども看護の文脈で紹介されますね。東日本大震災の経験を石巻日赤の先生方から伺ったことがありますが、デュナンの話をしなかったものの、想起されるような実践をお話してくださっていました)


ここでは、批判の根拠を集めているのではありません。

連携とは言われるものの、なにかアイデンティティが反応してしまうところがある。反発しなければいけないところがある。その正体は何かと探してみると、どうしても、「医師のようではない自己」を探してきた歴史を学習している跡を見つけてしまう。そのことを改めて考えてみました。


もちろん、課題としては、「医師のようではない自己」の探求は必要です。ですが、同時に、共通点や、協働する中で医師らから引き継いだものもあるような気もするのです。


医師のようではない自己のほか、医師への応答として引き継いでいるものがあるのではないか、と仮のテーマを設けて考えてみたいと思います。


::::::


そういえば、医師は遠くから来るが、看護や介護はほとんどが地元の人、ともいわれます。


こうした話は地域医療に根差す病院かたきた医師からもうかがったことがあります。

地域医療で有名な病院が長野県にあります。佐久病院というところです。

JA長野厚生連の『看護職員募集のご案内2025』にて、2023年度採用の看護師さんの出身校が県内/県外で比較されてます。県内は85%、県外は15%です。

生まれがどこかまではわかりませんが、「地元説」の有力な手掛かりのように思います。



::::::


わたしは宮城県の出身ですが、震災後に石巻に住みました。

そこで開成南境の仮設住宅が広がる地区にあった、開成仮診療所で働きました。


院長先生は石巻のご出身でした。医師の地元出身者は少なかったのではないかと感じます。地元の先生がいる、というのはうれしいことでもあります。

同時に震災後は若い先生たちを中心に、石巻に勉強に来たり、応援に来てくださることもありました。


そこで会話をしていると、不思議なことを感じます。

医師たちは、小さなことでも、普段の会話でも、裁量があるように話しているように感じます。これは批判ではなく、そのように裁量があるように考えることができるのか、と感心して思うのです。


医師は遠くから来るが、看護や介護はほとんどが地元の人。

震災後に佐久病院から来た医師は次のことを話していました。

「だから、病院の中にいる地元の人が分厚くなることが大事。それは地域が分厚くなることだから」


命にかかわることですから、その裁量はもちろん医師にあるのですが。

ただ、裁量があるように話す、というのは何か、ほかのとろこでこのことが大切な経験のように思うのです。

そうやって考えるのか、と。












 
 

最新記事

すべて表示
炊き出しの手伝い

若いころ、ホームレスの炊き出し支援などのボランティアに行っていました。 仙台、東京で経験があります。 仙台の年越し炊き出しのことです。 寒い夜で、公園も暗く、作業が大変だったことが思い出されます。 健康な20代であるはずでも、寒さで手が思うように動かず、何度も手をこすり合わせていました。 そんななか、食事に来た高齢の男性が、公園のあずまやに座って食べていたのですが、炊き出しのうどんをうまく食べられ

 
 
適正小作料運動から

今日は、戦時における農村について書かれた本から考えてみたいと思います。 エッセイですので、気軽に読んでいただけたらと思います。 今より20年ほど前、高齢者の方から戦争体験を聞くことがあった。 銃を避けて後退した戦地の経験、時計を組み立てていた工場でいつのまにか兵器になっていた経験。 現地の方がごはんをくれたというお話もあった。もちろんそのような出会いよりも、加害の経験を相手は覚えているかもしれず、

 
 
こどもに関する支援について

https:こど /www.nippon-foundation.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/wha_pro_end_06.pdf こどもの支援について考える際に、いくつかの視点があります。ここではソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の視座から考えてみたいと思います。 扱う主題は「こどもの貧困問題」です。こどもの貧困は、その尊厳や将来に甚大な影響を及ぼすもので

 
 
bottom of page