炊き出しの手伝い
若いころ、ホームレスの炊き出し支援などのボランティアに行っていました。
仙台、東京で経験があります。
仙台の年越し炊き出しのことです。
寒い夜で、公園も暗く、作業が大変だったことが思い出されます。
健康な20代であるはずでも、寒さで手が思うように動かず、何度も手をこすり合わせていました。
そんななか、食事に来た高齢の男性が、公園のあずまやに座って食べていたのですが、炊き出しのうどんをうまく食べられずに下に落としながら食べていました。
わたしでも指が動かないので、路上生活をしていたその男性は、なお指先の動かない状況があったのではないかと思います。
わたしはその落ちるうどんを横目で見て、みんなの食事が終わったら片付けよう、あるいはだれかが片付けるかも、と考えていました。
しばらくして、そこに目をやると、高齢の男性の姿はありませんでした。
そして、食べ終わったと思われる別の男性が、そのこぼれたうどんを拾って掃除をされていたのです。
わたしは駆け寄って、
「わたしがやるからいいですよ」
と声をかけました。それは罪悪感があったからでした。
男性はちょっと驚いた様子でこちらを見て
「……いいよ、そんなきれいな手でやらなくて」
と言いました。
「洗えばきれいになるから大丈夫です」
そう答えて、二人で片づけました。
片付けて、なんとなく向き合うと、男性は手を出してきました。
指先を切った、古い軍手。
手を差し出して、握手をしました。
男性は、おっ、とびっくりした顔をしました。
いつのまにか、この様子を見ていた人たちがいたようで、おれも握手して、と手を出しましたが、わたしは笑って握手をしませんでした。
自分にとっても明らかに不思議な体験です。
でも、忘れられない体験です。
…タイムスリップのようにして思いますが、タッチがコミュニケーションとして求められていたわけではないですよね。握手で正解ですよね、とも思います。
このことを大学の先生に話したときに、紹介された本は、田川健三『立ち尽くす思想』でした。
話の途中で、立ち上がって、黒板にチョークで書いていました。
田川建三『立ちつくす思想』勁草書房(オンデマンド版)、2002年。
